というご相談を、よく受けます。
このコーナーでは、国語の勉強法について、ごいっしょに考えましょう。
国語の成績を決めているものは、大きく分けて、2つあります。
1つ目は、本来的な意味での読解力。
2つ目は、受験テクニック。
今回は、本来的な意味での読解力をつけるにあたり、最も重要な「二元論(にげんろん)」のお話をします。
二元論って、どのような意味でしょうか?
世の中には、
などのように、対(つい)になっているもの、対照的なものがあります。
このような「対照的なもの」を比べながら、話を進めていくのが、「二元論」です。
では、なぜ国語の読解では、二元論が大切なのでしょうか?
文章というのは、筆者の考え、思いを伝えるものです。
筆者の考えを「論理」によって伝えるのが、「論説文」。
筆者の思いを「感情」によって伝えるのが、「物語文」です。
では、論説文から。
たとえば、
「文明が発達しすぎるのは、好ましくない。もっと自然を大切にしよう。」
と、主張する人がいます。これに対して、
「文明が発達したおかげで、世の中、便利になった。どんどん発達させよう。」
という意見もあります。
どちらの意見が正しいか?
これを、算数(数学)の証明のように、誰もが認める「客観的」な論理によって、どちらか一方が正しいと証明することは、できません。
「意見」というのは、究極的には「好きか嫌いか」の世界、すなわち「主観的」な世界に属します。
「私は、自然が好きだ。」
「いやいや、私は、火や電気を使う、便利なくらしが好きだ」
と、言い争うことになってしまいます。これでは、
「私は、カレーがおいしいと思う。」
「いいや、私は、パスタがおいしいと思う。」
と、言い争っているのと、本質的な違いはありません。
こういうのを「水かけ論」といって、決着がつきません。お互いに、言いっぱなしになってしまいます。
そこで、筆者は、自分の考え方が、より説得的、魅力的にみえるように、工夫をこらします。
そのための技術が、「二元論」なのです。
「文明が発達しすぎて、温暖化ガスが発生し、地球がこんなに住みにくくなってしまったではないか。だから、もっと、自然を大切にしよう。」
と、主張するわけです。
自分と反対の考え方だと、どのような不都合があるのかを指摘することで、逆に、自分の考え方を、説得的にするのです。
これは、あたかも、カラオケのようです。
メロディー(歌)が魅力的に浮かび上がるように、背景に「伴奏」をつけますよね。
では、物語文ではどうでしょうか?
あるところに、かけっこが速い少年Aがいました。
そのことを、本人は鼻にかけ、いい気になっていました。
そこへ、転校生Bがやってきました。
この転校生Bは、クラスのみんなが注目する中、少年Aよりも速く走りました。
さて、面白くないのは、もとNO.1の少年Aです。ことあるごとに、転校生Bにつっかかっていきます。
そして、ある日、とうとう2人はけんかします。
でも、けんかして、言いたいことを言い合うと、誤解が解け、かえって仲良くなりました。
もとNO.1の少年Aは、速く走れることを自慢していた自分の未熟さに気づき、ひとつ、大人になりました…。
というような展開の物語文。
中学入試国語では、けっこうよく出題されるのではないでしょうか。
いわゆる、「少年・少女が成長する物語」ですね。
ここでは、どこがどう二元論なのかというと、「成長前の少年」と「成長後の少年」を対比しているのです。
いきなり
「走るのが速いからといって、それを鼻にかけるのはよくありません。やめましょう。」
と言ってみても、
「なんか、説教臭い文章だな。」
で終わってしまい、伝わりません。
そこで、まず、成長前の少年の態度を「嫌味たっぷりに」描き、イライラ、ハラハラさせ、読者の脳内環境を整えます。
そして、事件をきっかけに、少年の態度を改めさせます。
「成長後の少年」の反省ぶりに、読者は、胸のすくような快感をおぼえ、
「そうだよな、鼻にかけるのは、良くないよな。」
と、共感するわけです。
当然、少年の気持ちが変化した部分が、筆者の伝えたいこと=主題になります。
「物語文では、気持ちの変化を読み取りましょう」
ということが、よく言われますが、以上の理由に基づきます。
このように、国語では、読者を説得するために、二元論の手法を用います。
そのことを理解していると、文章を読みながら、何と何を対比しているのか、把握しやすくなります。
それが、読解力につながります。